2014年1月20日月曜日

ほとりの朔子



年末に自由と壁とヒップホップを見たときの予告編で見て、
ずっと気になっていた本作品。
なぜかといえば、二階堂ふみが主演だからです。
はじめは、ヒミズで知った彼女ですが、
「地獄でなぜ悪い」「四十九日のレシピ」
TVドラマ「Woman」など、
彼女の出てる作品で嫌いなものは一つもない!
ということで本作も期待して見に行きました。
結果、超好きだわ…
最近見たのが男同士のぶつかり合いばっかりだったので、
一層考えさせられた映画となりました。

二階堂ふみ演じる朔子は浪人生。
夏のあいだ、伯母さんの家に滞在する約1週間の話。
いわゆるモラトリアムものです。
モラトリアムといえば、
前田敦子が演じたタマ子がいましたが、それとは真逆。
タマ子が動なら、朔子は静。
本作は甘酸成分、苦み成分が半々くらいっていう印象です。
タイトルに朔子って入ってるけど、
この映画で主に語られるのは彼女の話より、周りの人の話が多い。
この周りの人々のキャラの描き込みがホント素晴らしい。
みんな、何か抱えながら生きていて、
大人として割り切っているのが多分に見えてくるんですねー
それが不倫だったり、一夜のことだったり、過去の出来事だったり。
これらが最も具現化されるのが、ある女の子の誕生日会のシーン。
ホンマに息詰まって、辛かったな〜最後にバシッとなったけど。
平坦なように見える世の中でも、
実際には超デコボコなのを、
皆キレイに見せて生きてるってことがよく分かりました。
(それが良いとか悪いとか安易な二元論ではない)

そして、この映画の最大のテーマとなっているのが、
主観性/客観性の話。これが相当好きな部分でした。
そもそも朔子が周りの大人や友人を客観の視点で見てる。
この視点でいいのかと朔子が葛藤してる。
そこで出てくるのが、太賀演じる孝史。
彼は福島の両親のもとを離れて、
学校に行かず、叔父の経営するホテルでバイトしてる。
つまり、間接的にせよ原発の話があります。
安易な使い方じゃなくて、ちゃんと必然性がある。
この孝史における主観/客観の話は、
「善意からだけに、なお厄介」を具現化したような話。
客観のヤダみといいますか、
あなたから見たその人と、その人自身は違うってことを
認識する必要があるよねってことが骨身に沁みた。
(想田監督のキャメオ出演はアガッた。)
また、終盤に伯母と朔子の話も同様。
伯母はインドネシア研究や翻訳を仕事にしてるんですが、
朔子はそんなのインドネシアの人たちがやったほうがいいじゃんと。
つまり、より主観で見れる人のほうがいいじゃんと。
そこで返す伯母の回答も溜飲を下げましたが、
(主観の強みは大前提の上での客観の意味)
回答を聞いた後の二階堂ふみの仕草がね…5億点ね!
この映画の二階堂ふみのPhotogenicっぷりたるや…
ホントにハンパじゃないよ!
大きな起承転結がある訳じゃないから地味めに見えるけど、
彼女が画面に映る一つ一つのシーンが魅力的で退屈しない。
ポスターで使われてる画も、
実際の映画で見れるんだけど、もはや絵画レベル。
とにもかくにも、めちゃくちゃ好きな映画でした。

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