2015年5月2日土曜日

私の少女



映画の日ということで会社をFlexで切り上げ、
韓国期待の若手女優キム・セロン×ペ・ドゥナのW主演の
気になっていた作品を見ました。
監督はチョン・ジュリという人で本作が長編デビューとのこと。
そして製作を担当したのが、
oasis、シークレットサンシャインのイ・チャンドン。
この組み合わせでオモシロくない訳がない!
主演2人は抜群に素晴らしいことは言わずもがな、
話も深くオモシロいんだから言うことなし!
ジェンダー論、フェミニズム論というべきか、
少女(girl)→女性(woman)の狭間にあるものは何か?
ということ描きつつ、ヒリヒリした
いつもの韓国映画スタイルもキープしている。
優しさと厳しさが同居してる珍しいバランスだと思いました。

ペ・ドゥナ演じるヨンナムは警察官
キャリア組の彼女は左遷され、とある田舎町へ所長として赴任する。
この町で出会うのがキム・セロン演じるドゥヒ。
彼女は継父と祖母から日常的に暴力を振るわれているし、
学校でもいじめられている。
ドゥヒが夜中に暴力から逃げ出したところで、
ヨンナムと遭遇し彼女を助けることになり…という話。
冒頭ヨンナムが車で町へやってくるシーンから始まるんですが、
これがラストと非常に対照的で見終わった後に、
あの2人が…という形でグッとくる。
まー何にせよ、本作のペ・ドゥナのかわいさは最高最高!
「ぺどぅな〜」と思わずニヤリとしちゃう。
(個人的には早朝ランニングのシーンが好き)
その一方で影を抱える女性でもあり、
ミネラルボトルに入った水をグビグビ飲んでいるんだけど、
その中身は焼酎で自らミネラルボトルへと詰め替えてるっていう…
お酒も重要なキーワードで継父は酔っぱらうと、
ドゥヒに対して暴力をふるう。
アルコール中毒という点では同じなんだけど、
ロクでもないかどうかはあくまで属人的であるという
描き方はフレッシュでオモシロかったです。
ドゥヒがどつかれる度にヨンナムの家を訪れるので、
彼女はドゥヒを夏休みのあいだ預かることに決め、
2人の共同生活が始まります。
ドゥヒにとっては初めて自分を
受け入れてくれる存在に心躍らせ、どんどん明るくなる。
この辺の機微の変化をキム・セロンが
素晴らしい演技で体現しています。
お風呂のシーンは母性に甘える表情がかわいらしいし、
その一方で、留守番中の自傷行為のくだりは逆に
ドゥナの狂気が十分に伝わってきました。
中盤〜後半にかけてはヨンナムが
左遷された理由が明らかになっていく。
それは彼女が同性愛者だからというもの。
警察、継父というマチズモの権化に
直面してきた2人は似た者同士とも言える。
また最悪なのがペドフィリアと同性愛者を
一緒くたに議論するところ。
怒りも沸いたけど、
ここまでの2人の関係性の描き方が
艶かしい瞬間も多くて、「もしかして…」
と思ってしまうバランスになっているんですよねー
でも、こうやってろくに調べもしないで、
十把一絡げにして議論を矮小化してくことは
最近よく見かけることなので気を付けたいなと思いました。
後半にかけてはドゥナが「少女」ではなく、
「女性」であることが物理的にも精神的にも描かれていく。
ドゥナのヨンナムへの気持ちが非常に複雑で、
家族のようでもあり、友達のようでもあり、
同性愛のようでもあり…
それらをセリフではなく2人の生活の様子から
浮き彫りにしていくのが素晴らしいなーと思いますし、
この辺りのアンビバレントさについて考えるのも楽しい。
英題はA Girl At My Doorなんですが、
このタイトルの秀逸さは映画が見終わった後に響く。
(韓国語の原題は「ドヒや」)
一方の邦題はこのタイトルでいいのか?と思わざるを得ない。
ドゥナがどこにいるか、つまり冠詞が重要な意味を持つ。
あくまで「a girl」な訳で「my girl」ではない。
終盤にドゥナが女性の側面を全開にすることで、
事態が大きく展開していく。
これが良い/悪いの議論は難しいところだけど、
僕はいくら親でも暴力ふるう人間はダメだと思います。
不法移民の話なんかも入っていて、
社会的なマイノリティやセーフティネットから漏れてしまう人達が
どうやって生きていくかという論点も見ることができます。
ラストは冒頭と繋がっていて、「行って、帰る」という作り。
このシーンが本当に素晴らしくて、エンディング曲も最高最高!
全然情報なかったけど、Google翻訳駆使して探して見つけました。
※ラストシーンそのままなので要注意


公開規模は小さいですが、是非とも見て欲しい1本です。

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